韓国・中国の捏造の証拠をあなたに

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真実は米軍が日本人捕虜を虐殺していた!

こちらのサイト様から転載させて頂きました。「正統史観年表」様
seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-162.html


連合軍が日本兵を捕虜にせず殺害しまくった例は枚挙に暇がない。

カリフォルニア大学のダワー教授はその著『人種偏見』において、
連合軍側の虐殺行為を詳しく紹介している。

例えば、すでに米軍の支配下にあった島に、
仲間とはぐれた日本兵を一人放ち、
その兵士が身の安全を求めて
狂ったように駆け出すところを銃の標的として楽しんだ。

ペリリュー島や沖縄の激戦地で、
米軍兵士は日本兵の死体から
手を切り取って戦果のトロフィーとする、金歯を漁る、
死体のあいた口めがけて小便をする、恐れおののく沖縄の老女を撃ち殺し、
「みじめな生活から逃れさせてやっただけだ」と気にもとめない、
といった具合である。

太平洋地域担当の従軍記者エドガー・L・ジョーンズは、
一九四六年一昭和二十一年一の『アトランティック・マンスリー』誌に、
「われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、
病院を破壊し、救命ボートを機銃掃射し、
敵の民間人を虐待、殺害し、傷ついた敵兵を殺し、
まだ息のある者を他の死体とともに穴に投げ入れ、
死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、
それで置き物を作るとか、
または他の骨でぺーパーナイフを作るとかしてきたのだ」と書いた。

これらの陰湿な虐殺行為は政府によって公認されたこともあった。

ジョン・ダワー教授はいう。
「ブーゲンビルで投降しようとして殺された負傷兵の場合のように、
日本兵殺害の中には上官の命令下に行なわれたもの、
あるいは少なくとも上官が事後承認を与えたものがあった。
たとえば日本の輸送船を沈め、その後一時間以上もかけて何百何千という
生き残り日本兵を銃で撃ち殺したアメリカの潜水艦艦長は、
この虐殺をその公式報告書に記録し、
しかも上官から公の賛辞を与えられている。」

さらに、ダワー教授はこう述べる。

「連合国側の虐殺行為は何ら罪を問われず、免責されたままだ。
そして、補虜虐待について言えば、それでなくとも物資不足に喘ぎ、
補虜を受け入れるだけの設備も食糧も不足していた日本側が
それでも交戦法規を忠実に守って、
大量に投降してくる敵兵を捕虜にしたからこそ
様々な問題が生じたのである。 」

―――――――

無抵抗の特攻隊員を殺害・ハーグ陸戦条約・第23条違反の疑い
http://www.youtube.com/watch?v=jqMSh2iLr9Y
http://www.youtube.com/watch?v=IiZ2ig8QUaI

アメリカ軍による日本内地への機銃掃射
http://www.dailymotion.com/video/xmbwct_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F_news

『大和と運命を共にした第2艦隊司令長官』 伊藤整一 著

昭和20年 ( 1945年 )4月7日、
沖縄への海上特攻に赴いた戦艦大和をはじめ
巡洋艦矢矧 ( やはぎ )など2隻、
駆逐艦3隻が敵の空襲を受けて沈没しました。

「現場の海面で浮遊物につかまり漂流中の無抵抗な乗組員に対して、
空母を飛び立った米軍戦闘機の群が執拗に来襲しては
情け容赦もなく機関銃を撃ちまくり殺戮した。」
( 矢矧の原艦長の証言 )
「 この悲惨な状況をあざ笑うかのように、 米軍機は何時間にもわたって、
無抵抗の漂流者に執拗な機銃掃射を加え続けた 。」

―――――――

『容赦なき戦い』 ジョン・ダワー著

同様な残虐行為は ニューギニア近海でもおこなわれました。
昭和18年3月3日に起きた ビスマルク海戦 ( 空襲 )の結果、
陸軍の兵士を乗せた輸送船8隻と駆逐艦4隻が
敵機の攻撃により沈められましたが、

沈没した日本の艦船からボートや筏で逃れ、浮遊物につかまり
漂流中の千名の兵士達に対して 、
アメリカとオーストラリア軍の飛行機が低空から機銃掃射をおこない、
機関銃の弾を撃ち尽くすと基地に戻り弾を補給し、
映画撮影のカメラマンまで乗せて
何度も弾の補給に往復しては攻撃を続けました。

「 決して男らしいやり方ではなかった 」 と
第5爆撃隊のある少佐は戦闘記録の中で報告していました。
「 隊員の中には気分が悪くなる者もいた 」。
救命ボートやその周辺を文字どおり血の海に変えた。

その殺戮の様子を、機上から撮影した実写フィルムが
10年ほど前にオーストラリアの テレビ局から放映されて、
国民に大きなショックを与えました。
「我々はフェアーな戦をしたと思っていたのに.....と」。

―――――――

『ヤンキー・サムライ』 ジョセフ・ハリントン著

ルーズベルト大統領の息子で海兵隊大尉のジェームズ・ルーズベルトも
加わっていたカールソン襲撃隊は、戦死した日本兵の 死体を切り刻み、
男根と睾丸とを 日本兵の口中に詰め込んだ 。

太平洋戦争について熱心な研究者で著書もあり、
またテレビの連続番組( 戦線、Battle-Line )の
プロデューサーであるシャーマン・グリンバーグが、
20年後にカールソン隊員の1人にその時の模様を
( テレビ で)詳細に語らせている。
その隊員は戦友たちのやった蛮行を写真に撮っていた。

―――――――

『マキン、タラワの戦い、独立陸戦隊』 中隊長谷浦英夫著

マキン島へ救援に赴いた私( 谷浦中尉 )は、
戦場で妙なことに気が付いた。
どういうものか仰向けになった屍体が15~6あり、
しかもすべて下腹部を露出している。
死後1週間経っていたため原形は完全に崩れていて、
顔の穴という穴はすべて蛆で真っ白である。
どうしてこんな格好をしているのだろう。
被弾して苦痛のあまり無意識にズボンをずり下げたのか?
アメリカ兵といえばキリスト教徒であり、日本人以上に文明人とみなされ、
しかも選りすぐった精兵とこの種の蛮行を結びつけることなど、
遺体収容作業に当たった誰一人として思いつく者はいなかった。
戦後50年経って意外な事実を知り、愕然とした。
それはマキン襲撃の際に行われた 海兵隊の蛮行を物語る、
翻訳された出版物を読んだからである 。

―――――――

作家上坂冬子の著書によれば、
硫黄島の洞窟内から戦後米兵により
持ち去られた日本兵の頭蓋骨は1千個 にもなる。
彼等はそれでロウソク立て、灰皿や ペン皿を作ったといわれ、
また硫黄島で戦死した日本兵の頭蓋骨と称するものが、
ロサンゼルスの骨董店で一個 25ドル で売られていた。
( 硫黄島いまだ玉砕せず )

日本兵の頭部を煮るアメリカ兵(1944年)。
頭蓋骨は一体につき35ドルで販売されていた。
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