韓国・中国の捏造の証拠をあなたに

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征服されて民族が入れ替わったのは朝鮮半島


こちらから引用させて頂きました。「ねずさんのひとりごと」様
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2273.html



201405312214469fd.jpg


江戸時代のお殿様の写真をみると、なぜかみなさん「細長い顔」をしておいでです。
とりわけ徳川将軍家のお殿様のお顔立ちは、ものすごく細長い。
これは遺伝による影響もありますが、実はそれだけではないのです。

どういうことかといいますと、人間の顔の骨というのは、実は頭骨の成長過程で変化します。
成長期に硬いものをあまりたべないと、あごの力が弱くなり、顔が細長くなります。
一方、子供の頃から硬いものをガリガリやって食べる習慣がありますと、あごがしっかりして、顔の横幅が広くなります。ほんとです(笑)

卑近な例で申し訳ないのですが、わが家の家系では、父も祖父も曾祖父も顔は細長いです。
母方も同じです。
ところがどういうわけか、私は子供の頃から顔が丸い。
子供の頃は「お前は橋の下から拾ってきたのだ」などと言われ、実はその真意は、拾い子は丈夫に育つという故事からきていた、むしろよい意味の言葉だったのですが、顔の骨格も丸いし、わが家の家系の中ではとびきり成績が悪かった(笑)ので、「ほんとうに拾われて来たのかもしれない」などと、幼い頃は真剣に悩んだこともありました。いまにしてみれば、大爆笑な話です。

血筋ですから、顔はもともとは面長だったようなのですが、硬いものをガリガリ噛むのが好きで、いまでも飴をほおばれば、その瞬間に飴をガリガリ噛んで食べてしまいますし、梅干しも、中の種を奥歯でカリッと軽く割って、中のおいしい胚(はい)を食べるのが大好きです。
おかげで、顎の筋肉が発達し、ついでに顎の骨まで発達して、その分、顔がまるくて横幅が広いです(笑)。

梅干しの種は、最近では結構、奥歯でガリッと割れない人が多いようで、そうした方の多くは、細長いお顔立ちをされている方が多いようです。
ちなみに、細長い顔(細面)の男性は、昔から家柄の良さの象徴だったようで、中世に描かれた絵画などを見ますと、高貴なお方は細長い顔に、乱の最中に片隅で戦泥棒をやっているような下々の者は顎のしっかりした顔に描かれていたりします。

一昔前までは、この細長い顔立ちと、顎のしっかしした顔立ち、(あと目の大きい、細い)などの特徴について、これを「縄文顔、弥生顔」などと解説したものが多くありました。
つまり、
「縄文顔」は、顔が丸や四角で、目が大きく、
「弥生顔」は、面長顔で目が細い、などです。

要するに、この説は、弥生時代に朝鮮半島から渡来人たちがやって来て、日本列島で平和に暮らしていた縄文人たちを駆逐し、日本民族が入れ替わったのだ、という戦後の仮説に基づいて、そのような説が唱えられ、そのことが「縄文人と弥生人特集」みたいなかたちで、テレビでさんざん拡散された結果、なんとなく多くの日本人が、「なるほど、縄文人と弥生人は、ほとんど人種、民族が違うんだ」と、変な具合に納得させられてしまっていたものといえます。

ところが、最近の考古学の研究というのは実に発展していて、その「縄文人、弥生人別民族説」なるものが、まったくの虚構にすぎないことが証明されてしまいました。

下にあるのは、岩手県気仙郡三陸町綾里字宮野にある宮野貝塚で昭和53年に発掘された、縄文中期の成人男性の頭骨なのですが、この頭骨、誰がどうみても、細長い顔です。
このような例は、実は枚挙にいとまがなくて、縄文時代の人骨から、面長の顔立ちの骨は、ものすごい数が戦後に発掘されてしまっているのです。

また、先日も書きましたが、縄文時代の人骨から採取されたDNAと、弥生時代の人骨から採取されるDNAも、なんのことはない、同じ日本人、そして「朝鮮半島からやってきた」はずの弥生時代の人骨のDNAは、いまの朝鮮半島の人々のDNAと、まったくつながらない、ということまで、明確に判明してしまっているわけです。

そもそも、朝鮮半島は、いまから7千年前から1万2000年前までの、まる5千年の間、まったく人跡未踏の土地だったところです。
その時代に人が住んでいたことを証明できる遺跡が、まったく発掘されないのです。

その朝鮮半島に、7000年前頃から日本の縄文人たちが入植しはじめ、それが弥生時代になると九州一帯から朝鮮半島南部にかけてが、まるっと「倭人」たちが住むエリアになるわけです。
そして弥生時代後期、つまり1世紀頃には、そこで倭人たちが伝えた稲作をするために、広大な田畑が開かれ、そのための土砂を盛り土した古墳も、朝鮮半島に登場するようになります。
古墳は、明らかに日本にある古墳の方が時代が古いので、日本から朝鮮半島に伝わったということが、明確になるわけです。
つまり、稲作も古墳も土器も人も、日本から朝鮮半島に伝わったというのが、近年に至って証明された事実です。

ところが、その朝鮮半島の北側、つまりいまの北朝鮮のあたりに、満州方面にいた遊牧民や、支那の漢族たちが入植しました。
それが濊族で、文明から取り残された非常に汚い民族だったわけです。
その濊族の入植地(いまの北朝鮮あたり)に、今度は満州方面から貊(はく)という種族が入植し、妻を交換しあって混血し、さらにその濊と貊の混血地に、北満州から東モンゴルのあたりにいた夫余族(ふよぞく)の朱蒙が、これらを制圧して紀元前1世紀頃に建国したのが高句麗です。

つまり、古代において朝鮮半島には、倭人と遊牧系混血族の高句麗の2種類の民族が半島の北と南にいたわけです。
そして最終的には、遊牧系混血族の高句麗が半島を統一し、その一派が新羅に入りこみ、その新羅が唐と手を結んで半島の倭人たちを追い出して、いまの朝鮮半島に至るわけです。

つまり、縄文人を弥生人が征服し、制圧して日本民族が半島からきた弥生人に入れ替わったというのは、真っ赤な偽りで、
その朝鮮半島からやってきたとされるその朝鮮半島の歴史が、実は、もともと倭人たち(縄文から弥生にかけての倭人たち)を駆逐して、半島の民族が入れ替り、いまの朝鮮半島になっているという、あまり語られない歴史が、じつは、本当にあった歴史です。
だから、いまの朝鮮族と、日本人ではDNAが違う。あたりまえです。

ちなみに朝鮮人というのは、自分たちのことを「コリアン」と呼びますが、この「コリアン」は、高句麗がなまってできた言葉です。
要するに、コリアンというのは、あとになって朝鮮半島に住み着いた高句麗人たちのことをいうのですが、その高句麗も、後にできた高麗も、高句麗は7世紀に、高麗は14世紀にとっくに滅んでなくなっている国です。
とっくになくなっている国の名前で、自分たちのことをコリアンと呼ぶというのも、考えてみればおかしな話です。

ちなみに韓国メディアは、我が国の天皇のことを「日王」と呼びますが、これは断じて許せない侮辱です。
日本は韓国に対して、敢然と抗議すべきです。

そもそも「王」というのは、皇帝の配下です。
「皇帝→王→公→侯→伯→子→男」というのが、東亜における身分の順番です。
そして王は、皇帝に献上品を渡して、その国の「王」に封じてもらいます。
そのときの命令書が「冊」で、だからこの秩序のことを「冊封体制」と呼びます。

なるほど朝鮮半島の歴代の王朝は、すべて支那皇帝から冊封を受けて「王」に封じてもらっていました。
朝鮮半島の歴代の王朝は、すべて支那の属国ですから、これは当然のことです。

けれども我が国は、478年に応神天皇が支那皇帝から冊封を受けたのが最後で、これ以降、二度と我が国天皇が支那から冊封を受けたことはありません。
それどころか、607年の遣隋使において、「日出ところの天子、日没するところの天子」という国書を支那に送り、我が国天皇は、支那皇帝と対等という宣言をし、我が国の独立自尊を宣言しています。
そして続く608年の第三回遣隋使において、我が国は「東の天皇、西の皇帝」という表現を用いて、初めて対外的にも「天皇」を名乗り、これによって完全かつ完璧に支那の冊封体制から自立しています。

つまり、天皇という称号は、我が国が支那の属国である冊封国ではなく、完全に完璧に独立した証としての尊称です。
近代にいたるまで、ずっと支那の属国であり続けた朝鮮に、我が国天皇が「王」と呼ばれる筋合いは、まったくないのです。
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